大久保利通といえば・・・。
NHK大河「せごどん」もいよいよ佳境ですが・・・。
今日は、とつぜん日本史クイズです。
次の人物は、大学の設立と関係が深いことで知られています。
では、問題です。
大久保利通・・・〇〇〇〇大学
さあ、漢字四文字で埋めてください。
・・・・・。
・・・・・。
・・・・・。
・・・・・。
・・・・・。
はい、お時間です。
正解は、
東京農工大学 です!
ザワザワ・・・。
(東京農業大学なら知ってるけど・・・)
(東京工業大学も知ってるけど・・・・)
(・・・農工?そんな大学あるの?ほんとに?)
あります。
私の青春がすべて幻でなければ。
東京農工大学は、
獣医学科(共同獣医学科)は農学部に属しているのですが、
その農学部の発展に多大な功績のあった人物、それが
大久保利通公なのです。
東京農工大学の農学部は、1878年には「駒場農学校」と呼ばれていました。
その後、
1882年 東京山林学校
1886年 東京農林学校
1890年 帝国大学に併合
1935年 東京帝国大学から独立し東京高等農林学校となる
1944年 東京農林専門学校
という変遷をたどります。
つまり、
ということになります。
その「駒場農学校」、設立にあたっては国も頭を悩ませたようです。
農業近代化の重要性は自明のものでしたが、新政府は
工業、製糸業、軍事力近代化と、殖産興業に予算が追い付かない状況でした。
そんなとき、大久保利通公が進み出ます。
利通公といえば言わずとしれた明治維新の元勲。
新政府樹立の功労者として、明治天皇から
「賞典禄」を下賜されていました。
賞典禄とは、国家に仕えた者に支給された手当のことです。
天下の大久保利通、その禄も莫大なものでした。
彼はこれを、惜しみなく駒場農学校の設立・運営にあてます。
とかく西郷隆盛を死に追いやったという視点で評されがちな利通公ですが、
この駒場農学校の件に限らず、予算のつかなかった国家事業には私財を投じていました。
残念ながら駒場農学校設立のその年、利通公は紀尾井坂で暗殺されてしまいます。
維新の三傑に数えられるにも関わらず、その金庫から出てきたのは借金の束であり、国に私財を投じたため彼の所有財産もすべて抵当に入っていました。
ただ、公の潔白な人柄を知っていた債権者たちは、遺族に返済を求めなかったと言います。
大久保利通公が資金を寄付したとはいえ、表向きは官費で設立されたので
「駒場農学校」から始まった系譜は、国立東京農工大学として受け継がれています。
「大学を作った人物」
として日本史の教科書に載ることはないでしょう。
しかし、
「次の世代のために何を成すべきか」
そのことに人生を捧げた公の生きざまは、折にふれて今なお私の心に点火します。
農工大を出なかったら、僻地獣医療に取り組んでいないようにも思います。
今でも農学部には、その功績をしのび
「贈 右大臣 大久保利通公碑」が残されています。
(写真は20年前で、かなり古いものですが)
皆さんも、機会があればぜひ東京農工大学農学部にお立ち寄りください。
緑豊かな、美しいキャンパスです。
ただし!たまに下を見ながら歩いてください。