南の往診獣医さんのブログ

往診獣医が獣医師ならではの視点で動物のこと、社会の出来事、その他の話題についてオリジナルイラスト付きで書いています。

往診獣医の事件簿4 〜事件は洗面台で起きているんだ!〜

きのう沖縄は風も強く冷たい雨で、

往診中もずいぶん濡れました。

検査や治療は屋内でやりますが、

薬剤や機器の積み下ろしの時はどうしても濡れます。

 

さて、こんなずぶ濡れの日に思い出すことと言えば‥‥。

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

深夜の人だかり。

市街地のアパートの前です。

 

みな緊迫した面持ちで二階の一室を見上げ、

ああだこうだ言っています。

何やら、事件があったようですね。

 

消防士が数人、駆け込んで行きました。

これは、ただごとではありません。

「頑張れ、助かるぞ」

そんな声も漏れ聞こえているようですが‥‥。

 

同じ頃。

獣医は一本の電話を受けました。

「抜けないって、何がです」

「ワンちゃんの足が、抜けないんです」

「そりゃ、抜けたらえらい事です」

「排水口から抜けないんですよ!」

むむ?

まず、状況を把握する必要があるようです。

 

事件が発生したのはその日の夕方。

場所は、洗面所です。

排水口に十字の水切りがしてあります。

写真を撮らなかったのですが、

イラストにするとこんな感じです。

 

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この1/4区画に、チワワの後ろ足が

するっと入り込んでしまったのです。

ジャンプー中にそうなったのだという事ですが、

それがどうしても抜けない、と。

 

飼い主さんは数時間の格闘の末、消防に連絡します。

ほどなくフル装備の消防士さんたちが到着。

隊員さんが入れ替わり立ち替わり、

試行錯誤の末、やはり抜けない。

誰か抜ける者はいないか‥‥!

 

‥‥というわけで獣医師がやって来ました。

取り巻きの見物人は、何を思ったことでしょう。

消防隊の次は、白衣の男。

しかも夜遅くのこと、慌てて来たのかこの男、

サンダル履きです。

いったい中では何が起こっているのか、といったところですが‥‥。

 

ともかく現場に入り、

飼い主さんと消防士さんから状況説明を受けます。

 

「‥‥というわけで、どの角度で抜けばよいか、教えていただきたいのです」

「なるほど。まずは拝見」

洗面台は、作業がしやすいよう配管が取り除かれ、

継ぎ目から水が漏れています。

「これを」

差し出されたのは消防士用のヘルメット。

排水口を下から見上げます。

配管からの漏水でヘルメットも白衣も

どんどん濡れていきますが、必死に観察します。

確かにしっかり、足先が見えます。

完全に排水口の水切りを通過しています。

次に立ち上がって犬の身体を触りながら、

問題の足を手繰っていきます。

かなりしっかり入り込んでいます。

 

「先生、どうでしょう」

「がっちり、きまってますね」

「洗面台ごと取り外して割ろう、という案も出ています」

「それは、えらいことですなあ」

 

解剖学的に、不自然でない角度。

それさえ間違えなければ、抜ける気はします。

しかし、剥離骨折や脱臼を伴うかも知れません。

犬も痛みと恐怖で騒ぐでしょう。

しかし今、この時点ですでに犬はかなり体力を消耗し、

神経も参っています。

時間に余裕はありません。

ここは、勝負に出ます。

 

隊長と打ち合わせしました。

「私は軽い麻酔を打ちます。五分程度は効くはずです。この間に引き抜きます」

「犬は大丈夫でしょうか」

「そこに、石けんがありますね」

「あります。我々も当初、あれで滑りを良くしたのですが、抜けませんでした」

「再度、塗りましょう。麻酔下なら犬の抵抗はありません。やりやすいはずです」

「では、抜くときの角度は‥‥」

「まず、関節の位置がここですから‥‥」

 

打ち合わせが終わり、隊長が全隊員を招集します。

「隊員に告ぐ!」

打ち合わせた内容を、隊員さんたちに伝達します。

いよいよ作戦開始です。

 

私はごく軽い鎮静薬と麻酔薬を筋肉内注射。

犬はすぐに眠りました。

はまり込んだ箇所は、石けんで滑りをよくしてあります。

ぐったりした身体を消防士さんが持ちます。

私は下から覗き込むようにして角度を修正します。

 

今だ!

 

するっ。。。。。

あっけなく抜けました。

 

数分後、麻酔から醒めた犬は、

ちゃんと後ろ足をついて歩行しました。

その様子を見て、消防士さんたちに初めて笑顔が出ました。

 

あれから数年が過ぎました。

たまに、夜中の診療が重なって

「今夜は寝られそうにないな‥」

という日があります。

そんなとき思い出すのは、全てが終わるまで決して笑顔を見せなかった、消防士さんたちの真剣な姿です。

 

あの人たちもきっと今夜どこかで戦っているのだ、

それを思うと拳に力がこもります。

 

あの夜、助かった子がまだ元気で過ごしていることを願っています。

 

そして、あのときの消防士さんたち。

一緒に働けたことを今でも誇りに思っています。

命がけのお仕事だと思いますが、幸多からんことを‥‥。

 

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