獣医学と文学 (1) 〜三国志〜
「やあ、口ほどもないぞ、寄手の奴輩(やつばら)、呂布これにあり。呂布に当らんとする者はないのか」
傲語を放ちながら、縦横無尽な疾駆ぶりであった。
無人の境を行くが如しとは、まさに、彼の姿だった。何百という雑兵が波を打ってその前をさえぎっても、鎧袖一触にも値しないのである。
馬は無双の名馬赤兎。その迅さ、強靱さ、逞しさ。赤兎の蹄(ひづめ)に踏みつぶされる兵だけでも、何十か何百か知れなかった。
さて。
三国志ファンの方ならご存知の通り、「赤兎馬(せきとば)」と言えば名馬の代名詞です。
文学作品に出てくる動物を並べたとき、精強さにおいて右に出るものはいないでしょう。
さて私は、この赤兎馬をとても興味深い馬だと思うのです。
その理由は、
全盛期が極めて長い
ということです。
作品をご存知ない方のために説明しますとこの赤兎馬という駿馬は、たびたび主人を代えながら三国時代を駆けぬけます。
具体的には、
189年に董卓が所有。のちに呂布へ。
198年に呂布から曹操へ。
200年から関羽の愛馬に。
しかし食事を拒み、関羽の後を追うように死去。
つまり作品に登場する西暦189年に誕生したとしても、
約30年間も第一線で活躍したことになります。
実は、これはありえない数字ではありません。
一般的に馬の寿命は20~30年ですし、イギリスのOld Billy という馬は62歳まで生きた(1760~1822)という記録が残っています。
しかし戦地を転々とするという過酷な環境を考えると、30年も他の追随を許さないレベルで活躍した、という例は非常にレアケースであると言えるでしょう。
いくら平均寿命が20~30年あると言っても、その後半はパフォーマンスが落ちます。
赤兎馬の場合、関羽が捕縛された時点(おそらく30歳を超える)でもまだ現役でした。
例えるならば18歳でデビューしたプロ野球投手が初年度から最多勝に輝き、
その後も安定して1シーズン20勝前後の成績を積み上げ、
同期が引退する頃に未だ全盛期を誇り、
そのまま平均実働年数の倍以上の期間働き、力の衰えぬまま引退する・・・
といったイメージでしょうか。
ただこれは「絶対に想像不可能」というレベルでもないように思います。
むしろ「見てみたい」と思わせるギリギリの範囲の能力値ではないでしょうか。
ですから赤兎馬の30年、という数字は
「普通はありえないが、数百年に一度くらいは出てくるかも知れん」
という絶妙な設定だと思います。
長年にわたって愛される三国志、その理由は様々でしょうが
一つの文学作品としてみた場合、赤兎馬にも
「いや、いたかも知れない」
という絶妙の能力設定がなされている点に私はニヤリとするのです。