ペットロスについて 〜動的平衡〜
看取ったり、最後の聴診を終えることが続くと、どうしてもペットロスの事から離れることができません。
何年たってもペットの遺骨をお墓に入れられない飼い主さん。
何年も経ってから「あの子の最期はあれでよかったのでしょうか」というお電話を下さる飼い主さん。
もう帰らないと、半ば諦めながら猫の帰りを10年以上も待つ飼い主さん。
少し前にもお話ししましたが、私は獣医師なので、科学的根拠に基づいたお話ししかできません。
極めてドライな、突き放すような言い方のような気もしますが‥‥、
実はそうでもありません。
今日はそんな話をします。
ルドルフ・シェーンハイマー。
ドイツ生まれのこの研究者は、生化学の分野で大きな発見をしています。
それはあくまでも「科学的な」大発見だったはずでした。
しかし、その発見は「生と死」を考える上で全く新しい視点を我々に与えた、と私は思っています。
それは、
「我々は、生きながらにして土から生まれ、土に還っている」
ということです。
これを、専門的には
「動的平衡」
と言います。
かつては、生物の身体は
「生きているうちは変わらないもの」
だと認識されていました。
例えば我々はウンチをしますが、それはあくまでも「食べたもの」の絞りかすであって、
我々は我々のまま存在し、その内部を食べ物が通過してウンチになったのだと考えられていたわけです。
シェーンハイマーはこの考え方をくつがえしました。
彼が証明したのは、
我々は絶えず
「部分的に身体を分解し」
「分解したものの中から不要物を選んで排出し」
「摂取した栄養で失われた部分を再構築している」
ということでした。
驚いたことに、それは皮膚や髪の毛だけではありませんでした。
歯も骨も、おおよそ「一生かわらないだろう」と思われていたパーツすら、部分的に絶えず分解と再構築を繰り返しながら存在していることがわかったのです。
これが死生観にどのような影響を与えるのか。
例えば、この写真。
この美しい海。
海水を構成する水素、酸素や、カルシウム、マグネシウムなどのミネラル。
元素レベルで見れば、これらは地球誕生以来ずっと「海」だったわけではありません。
今この海水の中からカルシウムイオンを一つ、つまみあげて思い出話を請うたら。
「オイラは、三葉虫の脚だったこともあるし、恐竜の歯だったこともあるんだぜ」
と言うかもしれません。
「過ぎ去った命は、どこかに必ず形を変えて存在している」
「その循環の中に、生きている我々もまた存在している」
シェーンハイマーが「科学的に」証明したことは、同時に
「死後も、生きている間でさえも、我々は自然の循環の一部である」
という視点を確立させたことでもあると思います。
それは生と死の境界が不確かなものになった事によって、
「過ぎ去った命との隔絶感が絶対的なものではなくなった」
事をも意味する可能性があります。
ですからペットを亡くされた方に私が言えるのは、
「ぜひ、美しい風景を見に行ってください」
ということです。
綺麗な海でも、空でも。
難しければ道端に咲く、名も知らぬ花であっても良いでしょう。
楽しげに風に揺れる一輪の花は、あの日あの子のしっぽだったかも知れないからです。
そして、しっかりゴハンを食べて下さいということです。
飼い主さんにパワーを与えるもの。
それは、失われた命が形を変えて、応援にやってきたかも知れないわけですから。