南の往診獣医さんのブログ

往診獣医が獣医師ならではの視点で動物のこと、社会の出来事、その他の話題についてオリジナルイラスト付きで書いています。

獣医学と歴史(6) 〜覇王が最後にしたことは〜

前回、沖縄県のスリースマイルプロジェクトのご紹介をしました。
反響が大きく、たくさんの方にお知らせできてよかったなと思っています。

さてどんな人にも本来、動物に対する愛情があるだろうと私は思っています。

それが誰であれ、どの時代の人であれ。
今日はそんなお話です。


中国に項羽(こうう)、という人物がいました。
今からざっと2200年ほど前の人物です。
楚(そ)という国の王でした。



(項羽 Wikipedia)


怪力の持ち主で、身長は190cmほどあったと言います。残忍な性格だったことも知られており、降伏した敵兵をことごとく生き埋めにしながら天下統一を目指していました。

一方で劉邦(りゅうほう)もまた、勢力を拡大していました。
両雄は激しく争いますが、最終的に項羽は敗れてしまいます。
時に紀元前202年。
敗北を悟った項羽は有名な歌を詠みます。

力抜山兮気蓋世
時不利兮騅不逝
騅不逝兮可奈何
虞兮虞兮奈若何

力は山を抜き気は世を蓋う
時に利あらず騅(すい)ゆかず
騅のゆかざるをいかにすべき
虞(ぐ)や虞や汝をいかにせん

私の力は山をも動かし、気迫は世界を覆うほどなのだが
時代は私に味方せず、愛馬の騅(すい)も動こうとしない
騅まで動かないのでは、一体どうしたら良いのか
そして虞(ぐ)よ、私はお前に何をしてやれるというのだ


ここで出てくる「虞」というのは項羽の愛妻です。
悲しいことに、項羽の足手まといにならないよう自害してしまいます。


さて今回取り上げるのは虞ではなく、騅(すい)の方です。

騅は項羽の愛馬で、数々の戦場で項羽と命運を共にして来ました。

しかしいま、項羽は最期の戦いに出撃しようとしています。
周囲は四方八方みな敵軍。その数、30余万。
いわゆる四面楚歌の状態です。

一方、10万ほどいた項羽軍はすでに崩壊。
このときわずか30騎たらずになっていました。

残忍と蛮勇を絵に描いたような猛将・項羽
しかしこのとき、意外な行動に出ます。
彼は騅に語りかけます。



(「史記横山光輝)


このあと項羽は、津波のように押し寄せる漢軍に突入。
奮戦ののち、壮絶な戦死を遂げます。


史記」の原文ではこの場面は少し違っていて、騅は烏江という場所の亭長(宿場の長)に与えられます。
この亭長は、船を用意して項羽の逃走を助けようとします。

亭長「王よ、早く渡って下さい。この辺りで船はこれだけです。漢軍がここまで来ても、向こう岸までは渡れません」
項羽「天が私を滅ぼそうとしているのだ。どうしてこの川が渡れよう。私は故郷の若者八千人と共にこの川を渡って来た。だがその中に一人も無事で帰ったものはいない。彼らの父兄に、私はどんな面目があって会えると言うのか」
項羽は騅を指し示して言います。
「亭長よ、私はあなたが人徳のある人だと分かった。私はこの馬に五年乗ったが、そのあいだ負けた事はない。一日に千里は駆けたものだ。この馬を殺すのは忍びない。騅はあなたに与えよう」


項羽は人生の最後に不思議な一面を見せ、押し寄せる時代の波間に消えていきました。

動物は時に、人間という生き物の多面性をあらわにします。

「ヒト」は育つ環境や受ける教育によって全く違った「人」になる生き物です。

項羽がもしあの時代の人でなければ。
秦朝末期、楚の将軍の孫などに生まれなければ。
非情な人物としての彼を生きることは無かったかも知れません。

しかし彼が最期の瞬間に見せた生命への慈しみは、彼がどの時代に生まれても保有している特性のように感じるのです。

史記」を著した司馬遷(しばせん)もまた、数ある項羽のエピソードの中から騅との別れを省くことをしませんでした。

彼は項羽の「人間的な行い」がどこから来たものかを感じ取り、「人は何たるか」を問うための素材として、このことを書き残したのではないかと思います。

私は司馬遷のこの行為もまた、極めて人間的な振る舞いだと思うのです。





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