1万分の1は0か
ここしばらく往診件数が多くて、日付をまたぐ日が続きました。
時間のかかかる難しい症例もあります。
なにも技術的なことだけではありません。
例えば「告知する」という行いもその一つです。
「これは助かる見込みのない病気です」
とだけ言ってそそくさと去るのは、病を告げる者のする事ではないと私は思っています。
飼い主さんの様子を見ながら、ゆっくり時間を掛けてご説明申し上げないといけません。
だから同じ日に、同じ家に2回行くこともあります。
1人では受け止められないこともあるので、家族全員がそろう時間になってから改めて出向くわけです。
そしてこのとき、忘れずに付け加える言葉があります。
「とは言え、何が起きるかまだわからない」
ということです。
他院で心筋症と腎不全の診断を受け、余命わずかと告知された猫がいます。
「残りの日々は自宅で」ということで紹介を受けて私が引継ぎました。
データ上、私も同じように思いました。
しかしどうしたわけか。
それから数ヶ月たった今日も、この子は人生を楽しんでいます。
薬は継続していますが元気も食欲もあり、コタツの中でぬくぬくと丸くなっています。
そうかと言えば、1年ぶりに訪れたお宅でも不思議な事に出会いました。
飼い主さんは昨年、脳梗塞のため左半身が麻痺していました。
しかし今年。
この方はしっかり歩いて玄関から出てくると、自分の犬を両手で抱き上げました。
私が驚いていると
「お医者さんからもね、もう動かないって言われましたよ!」
だけどね、と続けて
「私は信じてたんだ。絶対、歩けるようになるって。もう死のうかと考えときもありましたよ。しかしね、何くそって。ダンベルを毎日にらんでね。絶対持ち上げてやるって」
この方はもう70歳に近いのですが、脳梗塞のあと60kgのベンチプレスに挑み続け、先ごろ成功しています。
「だからね、先生は獣医さんだけどね、治らないって、その道に詳しい人がね、絶対言っちゃだめなんだ。万に1つでも治ることがあるって、そう言わないと。だって希望がないと、人は生きておれないんだよ」
たいへん考えさせられる言葉です。
この文章は飛行機の中で書きました。
日本獣医師会の学術大会に向かっています。
確かに獣医学は日々進歩します。
しかし、「技術に血を通わせること」を忘れてはいけないな、と強く思います。