南の往診獣医さんのブログ

往診獣医が獣医師ならではの視点で動物のこと、社会の出来事、その他の話題についてオリジナルイラスト付きで書いています。

獣医学と落語 (1) 〜雁風呂〜

 いよいよ、その寒さがきつうなってくると、この雁(がん)は、かなんと言うので南へやって参ります。日本へ飛んで来て、冬を越すわけなんでおまっしゃろけど、その時に小さい柴の様な、小枝のようなもんを口にくわえるか、足につかむかして飛んで来るんやそうでございます‥‥。

桂米朝   雁風呂(がんぶろ)

 

先年、惜しくも鬼籍に入られた桂米朝師匠の「雁風呂(がんぶろ)」の一節です。

実はこの演目、獣医学的に見ると実に不思議な内容なのです。

説明のために、冒頭のあらすじを述べておきます。

 

・旅人に身をやつした水戸黄門一行が、立ち寄った宿場で奇妙な屏風を見る

・松の木の下に高く積まれた小枝、その上を雁の群れが飛んでいるという構図であった

・一行は「不思議な構図じゃ」と首をひねる

・たまたま、その構図の意味を知る旅の者が店内にいて、解説が始まる。

・これは、「雁風呂(がんぶろ)」という構図である

・松の下に積まれているのは、渡ってきた雁がくわえて運んできた木の枝である

 

さて、一体なぜ雁が木の枝を運ぶのでしょうか。

せっかくですので、ここからちょっと米朝師匠に語っていただきましょう。

 

‥‥大きな海を越さんとなりませんので、羽を休める所がない。で、疲れてくるちゅうと、その小枝を水のうえへ落として、チョイチョイッとつかまって休むんやそうでございます。

体の重みをかけてしまうと沈んでしまいますのでな、チョイ、チョイッと、羽を休めながら一服したらまた舞い上がって日本へ飛んで来る。

それを繰り返して飛んで参りまして、函館という所がある。そこまで来るともう、日本まではひとっ飛びでございますのでな。函館の「一つ松」とか言うのがこれやないか、と思うんでやす。そこで勢ぞろいをいたしまして、くわえて来た柴を皆その木の根元へ落として、あとはもう目の前に見えてる様な所やそうで、ひと飛びで日本の土地へ飛んで来る、という‥‥。

 

いかがでしょうか。

つまるところ、

ロシア辺りから南下してくる雁は一羽に一本ずつ小枝を携帯している、と。

途中、休むときは枝を海面に浮かべて、足を置いて休み、またくわえて飛ぶ、と。

これを繰り返して函館に至り、不要になった枝を一本松の下に捨てて本州に向けて飛び立つ、と。

屏風の光景はこれを描いたものである、と。

 

ちなみに「雁風呂」の「風呂」は、お風呂の意味です。地元の人がこの枝でお風呂を焚いたそうです。このあたりも、米朝師匠に補足していただきましょう。

 

‥‥土地の人が、雁が渡ってしもたあと、その落とした柴を取っときますのやて。

で、帰る時期が来たら、また元に置いとく。さぁ何組も何組も参りまっさかい、恐らく何千羽という雁がやって来るんでおまっしゃろ。

帰る時も出しておきますと、それを一つずつ、自分のんか誰のんかわかりまへんけど、一本ずつくわえてまた飛んで行く。すっかり北へ帰ってしもうて、あとに何百本という柴が残るんでおまんなあ。

「これだけの雁が、日本の土地で命を捨てたんじゃ。この雁の供養をしてやろ」というので、土地の人がそれを集めて風呂を焚きまして、これを旅人やとか、遍路、六十六部、宿無しの様な連中さんにまで、みなこれ風呂へ入れて、お粥か何かを炊いて食べさして、病気や怪我してるもんには薬を与え、困ってる人には何がしかのわらじ銭を与えして、また旅立たせる‥。

 

いかがでしょうか。

へ〜、雁というのは賢い鳥なのだなあ、土地の人も優しいなあ、と思ったあなた。

あなたはいい人です。

しかし、騙されやすいかも知れません。

 

よろしいですか、雁です。

いいですか、雁ですよ。

f:id:oushinjuui:20181221004539j:image

 

????

f:id:oushinjuui:20181221004543j:image

 

!!!!!

f:id:oushinjuui:20181221004559j:image

 

もう、おわかりですね。

立派な水かき。

そう、雁は水鳥です。

水面に浮くことができます。

枝は必要ありません。

くわえて飛ぶ意味はありません。

重いだけです‥‥。

 

いや、私は何も重箱の隅をつつくような、ケチをつけるような事をしたいわけではありません。

 

私が申し上げたいのは、

「冷静に考えれば、誰でもわかるなあ」

という事です。

 

この「雁風呂」という古典落語はたくさんの落語家さんによって演じられてきました。しかし米朝師匠独特の理路整然とした、それでいて軽妙でリズミカルな語り口で展開されると、聞き手は「雁が水鳥であること」を忘れてしまうのです。名人芸、とはこのことです。

 

この古典落語を聞いたどの時代の人々も、水鳥に枝が必要ないことはわかっていたはずです。しかし、名人の域に達した者だけが、このありえない世界に観客を引き込める。奥深いものを感じます。

「雁風呂」。

皆さんもぜひ、聞いてみて下さい。

 

f:id:oushinjuui:20181221020954j:plain