南の往診獣医さんのブログ

往診獣医が獣医師ならではの視点で動物のこと、社会の出来事、その他の話題についてオリジナルイラスト付きで書いています。

獣医学と料理 (3) 〜油揚げ〜

昨日、グーグルマップのお話をしました。

「‥‥という住所なので、宜しくお願いします」
「はいわかりました」
調べるとただの空き地だったりします。

一瞬、キツネにだまされたかのような気になります。

真相は単純で、
ストリートビューの画像が撮られてから
今日までの間に家が建ち、
人と動物が引っ越してきたわけです。

‥‥ということで、今日はキツネの話です。

「キツネは油揚げが大好物である」
という考え方があり、実際に稲荷大明神には
油揚げが備えられます。


(Wikipedia)

「稲荷」の語源は「稲成り」であって、
稲の豊作をつかさどる稲荷信仰のシンボルが
キツネであったわけです。
キツネはネズミを食べてくれますからね。

「じゃあネズミを供えないとダメなのでは?」
たしかにそうですね。
なぜ、そこで油揚げを供えるのか。
広く知られている説としては、
以下のようなものがあります。

・農民にとってキツネはネズミ除けの益獣であった
・そこでネズミを油で揚げ、キツネの巣穴に供えていた
・仏教が浸透し、殺生がタブー視されるようになった
・「ネズミ揚げ」の代替品として豆腐を揚げたものが供えられるようになった

なるほど、ありそうな話です。
ただ、少し変でもあります。

上の説だと、
「仏教が広まる前は、ネズミを揚げて供えていた」
ということになります。

仏教が伝来したのは飛鳥時代で、
平安時代ごろには広く民衆に信仰されています。
しかし仏教の普及以前の人々、
特に農民がネズミを揚げるのは難しいはずです。

「油」や「油を用いた調理法」が
世に知られるようになるのはせいぜい、
室町時代以降だからです。

では室町時代なら農民が揚げ物を作れたか、
というと難しいでしょう。
当時、油は高価な品です。
江戸時代になってようやく菜種油の製法が確立し、
一般に流通するようになります。

次に、肝心の豆腐。
豆腐の伝来は奈良時代ごろですが、
まだ庶民の口には入りません。

本格的な普及は江戸時代後期の1782年、
豆腐百珍」が刊行されてからのようです。

この本は良く売れ、翌年に「豆腐百珍続編」、
翌々年に「豆腐百珍余禄」が出ます。
「百珍物」という料理本の形式が出来たほど。

その頃には菜種油が普及していますので、
油揚げも庶民の食卓に上るようになります。

こうして見てくると
「お稲荷さんに油揚げを備える」
ことができるようになるのは
油と豆腐両方の流通が確立する、
江戸時代からだと考えられます。

仏教はそれよりはるか以前に浸透しており、
いくらネズミを捕まえたところで
油の流通は江戸時代まで待たないといけないので、

「仏教以前は、ネズミを揚げて供えていた」

という説はどうも腑に落ちません。
何か別のきっかけがあって、
キツネに油揚げを供えるようになったはずだと
油揚げを見るたびに考えてしまいます。

さては、江戸時代の豆腐屋さんの戦略で、
バレンタイン商戦や恵方巻き商戦と同じように‥‥。

真相はいかに。


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