豚コレラ(CSF)と猫
さて今日は豚と猫についてのお話を書きます。
猫が欲しい、という方に理由を伺うと
「ネズミをとってくれるから」
とお答えになる場合があります。
詳しく伺うと「家畜の飼料を狙ってネズミが来る」とのこと。
ところが基本的に、いま多くの動物愛護団体では「室内飼育」を条件に猫を譲渡しています。
ですからネズミ退治を理由に猫が譲ってもらえるような時代は終わりつつあります。
しかし、愛護団体を介さない猫のやり取りも存在します。
また雨風がしのげる畜舎は野良猫にとって優良物件ですから、自然と居つくこともあります。
実際に先日、沖縄県内のある養豚場から「猫が増えすぎて困っている」という相談が動物愛護ボランティアさんにありました。
さて、豚コレラに話を移しましょう。
豚コレラに伴う豚の移動制限。
一般人の立ち入り禁止。
ここで問題なのは
「猫は看板を見て引き返すか」
という点です。
つまり豚コレラの発生した豚舎への猫の出入り、清浄な農家への猫の移動を制限することが果たしてどこまで可能なのだろうか、ということです。
以前、トキソプラズマについて詳しく書きました。
簡単に言えば、トキソプラズマ症は
・動物由来感染症であり
・人における母子感染症であり
です。
豚が、と畜後にトキソプラズマ症によって廃棄される現象は近年ほぼ沖縄県に限局して見られます。
トキソプラズマ症の感染経路のひとつは猫の糞であることは述べました。
つまり沖縄では猫と豚が普段から濃厚な接触を行なっている可能性が示唆されます。
この点については、豚コレラの再発防止という観点からも検討が必要ではないかと思います。
ただしあくまでも、
「豚舎間を往来する生物はウイルスを運びうる」
「猫は飼い方によってその存在になり得る」
という事実の併記に過ぎません。
この二つが結びつくかどうかについては、調査の必要があるでしょう。
もちろん、猫が悪いわけではありません。
彼らは彼らなりに、必死に生きているのですから。
そして、猫だけでなくネズミや鳥もウイルスの運び屋として挙げられるでしょう。
しかし異常とも言える、沖縄の野良猫の多さ。
その野良猫を少しでも減らそうと活動している人たちは、思わぬ所で豚コレラの蔓延防止に貢献している可能性があると私は思っています。
予断を許さない状況ですが、あらゆる可能性が様々な角度から提起されるべきでしょう。
どうぶつえんにいきました。 (2)
以前、天王寺動物園について書きました。
少しお話を続けましょう。
むかし、天王寺動物園に限らず多くの動物園で動物は「見せ物」でした。
珍しい動物をオリに入れて見せる。
芸を仕込ませて観客を喜ばせる。
戦時中であれば、動物に軍服を着せて戦意高揚をはかることもありました。
悲しいことに、戦争が終わっても動物園のあり方が大きく変わる事はありませんでした。
しかし最近になって、動物園の役割に変化が訪れます。
動物園はレクリエーション施設から「種の保存」「動物の研究」に貢献する施設へと、変革をとげ始めたのです。
それに伴い、「生態展示」とよばれる新しい考え方が広がり始めました。
これは、オリに入れた動物見せるのではなく、その動物が本来暮らしている環境ごと展示する方法です。
この展示方法では、展示スペースにその動物の生息環境が再現されます。
(あべのハルカスの下に広がるサバンナゾーン : 天王寺動物園)
生態展示について、誰にでもわかる利点は「動物へのストレスが軽減される」ということです。
逆にすぐ思いつくのは「動物が見えにくくなる」というデメリットです。
木の茂みや岩陰なども再現されますから、「この角度からは尻尾しか見えないなあ」ということも起こりえます。
ただ、別の切り口から考えることも大事です。
それは、その動物が暮らしている環境=その動物が本来のパフォーマンスを発揮できる環境だという点です。
(澄んだ水の中を魚と一緒に泳ぐカバ: 天王寺動物園)
・動物のストレスを軽減し、本来のパフォーマンスが発揮できるように環境を整える。
・その動きを見て、来園者はその動物が持つ本来の能力を知ることができる。
‥‥というようなわけで私が訪れなかった30年の間に、天王寺動物園も変わり続けていました。
ただ、日本の動物園にはまだまだ多くの課題があります。
その一つは、日本に「国立動物園がない」ということなのですが‥‥。
このことにもいずれ触れようと思います。
沖縄で豚コレラ(CSF)‥‥。
動物園についての続きを書きたかったのですが‥。
沖縄で豚コレラが発生しましたので、今回はそれについて書きます。
ちなみに現在、「豚コレラ」は「CSF (classical swine fever)」と呼ばれるようになっています。
豚コレラの原因はウイルスであって、細菌感染症である人のコレラとは関係がありません。
というわけで、
「豚コレラ、という名前だと人に感染するような印象を与えてしまう」という理由で改称されました。
重ねて言いますが豚コレラは人にはうつりません。
豚コレラというネーミングの問題点については、2019年2月「豚コレラを斬る」というテーマで書きました。
その後、2019年11月に「豚コレラ」は「CSF」に呼び名が変わったので、その点は良かったのですが‥‥。
ということで、今回沖縄で発生した豚コレラ(CSF)について。
まず、私は獣医師ではありますが畜産や家畜衛生が専門ではありませんので、現段階でこの感染症について専門的なコメントを出すのは控えたいと思います。
ただ報道を見ていて気になるのは、多くの人が矛先をどこかに集中させがちだということです。
「養豚農家の衛生管理が甘かったのではないか」
「国の防疫体制に不備があったのではないか」
ネット上、そのような声が上がっています。
しかし、ひとつ根本的な原因、つまり「誰が悪いのか」を挙げるとするならば、それは「人間」だろうと思います。
もともと、動物というものは余程の理由がない限り、過剰に密集して暮らさないものです。
家畜のように「自分の意思に反して狭い範囲で、同種の仲間同士で朝晩ずっと一緒」ということはありません。
ですから、もし自然界で急性経過のうちに動物を死に至らしめるような感染症があったとしても、「大流行」というレベルにはなかなか移行しないはずです。
遥か昔、人類は家畜を養い始めました。
効率的に飼育するために、同じ種類の動物を出来るだけ多く、目の届きやすい範囲で飼育することを覚えました。
その結果、自然界ではあり得ないような規模の感染症が動物に降りかかるようになりました。
さらにまずいことに、動物から人への感染ー、つまり動物由来感染症のリスクが増大してしまいました。
本来は離れて暮らしていたはずの「人」と「動物(家畜)」が狭い範囲で生活するようになったためです。
家畜での大流行、そして人への感染。
効率的に動物性タンパク質を生産可能になった代償として、人類は重い十字架を負うことになったわけです。
感染経路や発生の原因を追及することは大事です。
しかし犯人を見つけて石を投げようとする側の人間も、ふと立ち止まる必要があります。
自分にその腕力を与えた動物性タンパク質は、いったいどこから来たのかー。
これは、人間という種全体のレベルで考えるべき問題だと思います。
どうぶつえんにいきました。 (1)
今から30年以上前。
私がまだ子供だったころ。
動物園に連れて行ってもらいました。
母親に手を引かれて、天王寺駅から歩きました。
途中、降り注ぐジャイアンリサイタル並みの大音量。赤ら顔のオッチャンたちが青空カラオケに興じていました。
酒くさい、ひどく音程の外れた演歌。
それはまるで通天閣から延びた根っこのように、昭和の街の中を抜けていました。
パチンパチン響く駒の音。
あるオッチャンたちは歩道の上に盤を置いて、一日じゅう将棋を打っていました。
路上に寝そべる順番待ちのオッチャンたち。
酒が回り、歩道の上でイビキをかいてる人もいました。
手を繋いで信号待ちのとき、次のひと口に及ぼうとした瞬間に消えうせたパン。見知らぬオッチャンが、口をモグモグさせ不敵な笑みで振り返りました。
呆然と立ち尽くす幼児の耳に流れ込むのは、「アウッ!アウッ!」というアシカの鳴き声と青空カラオケの大音量が奏でる奇妙なアンサンブル。
「世間の常識が当てはまらぬ地だ」
子供ながらにそう感じたものです。
天王寺界隈は、むかし確かにそんな地域でした。
そして当時の天王寺動物園がまとっていた雰囲気、それは間違いなく街の空気の延長線上にありました。
私は動物園が大好きでした。
動物が好きでしたから。
しかし当時、オリの中の動物たちは決して幸せそうに見えませんでした。
「この動物たちは商業主義的な意味で飼育されているのだ」
子供ながらにそう感じたものです。
さて。
今度は私が子供たちを動物園に連れて行く年齢になりました。
正月、家族を連れて大阪に帰り、30数年ぶりに訪れた天王寺動物園。
大きな建物がたくさん建って、天王寺のあたりもすっかり変わりました。
この大都会の中、動物たちはあの頃よりもっと肩身の狭い思いをしているのではないかー。
キリンもライオンも、狭いオリの中で、切り取られた空を見上げて泣いているのではないかー。
ところが‥‥‥。
?????!
あれ?
こんな広かった?
地上300m・日本一高いビル「あべのハルカス」を眺めるキリン。
キリンを眺めるライオン。
そこは、私の知っている天王寺動物園ではなかったのです。
いったい、この動物園に何が起こったのでしょうかー。
次回に続きます。
獣医学と歴史(8) 〜ハジラミと大陸移動説②〜
前回の続きです。
ヴェーゲナーの大陸移動説は多くの批判を浴びました。
「大陸を移動させるだけのエネルギーはどこから供給されるのか」
当時、その問いに対する科学的な答えが存在しなかったのも大きな理由でした。
その一方で、ある人物は生物学の立場から興味深い指摘を行いました。
V.L.ケロッグです。
(Vernon Lyman Kellogg : 1867〜1937)
1913年、ケロッグはある重要な発見をします。
ちなみにこの年はヴェーゲナーが大陸移動説を提唱した翌年にあたります。
ケロッグは、かねてより非常に小さな生き物を観察していました。
その生き物はヴェーゲナーの研究対象である「大陸」より遥かに小さな、比べることすら難しいほどに小さな生き物、「ハジラミ」でした。
彼はハジラミの寄生を受ける鳥類に着目します。
この鳥はオーストラリアに生息するヒクイドリです。
進化によって大型化したため、飛ぶことはできません。
こちらは南米に生息する、同じく大型の鳥類、レア。
彼らも飛べません。
「奇妙なことに、この2種類の鳥には同じ種類のハジラミが寄生しているー」
遠く離れた地で、違う種類の鳥に共通のハジラミが寄生しているのはなぜか。
ヒクイドリもレアも飛べないのだから、大陸間を飛翔することはありません。
するとハジラミもまた、互いの大陸への移動手段を持たないことになります。
「これらの鳥は恐らく、共通の祖先から分化した。祖先の鳥類に寄生していたハジラミは、鳥の進化に追いついていない」
ケロッグはこの他にも、別大陸に住む異種の鳥類に共通のハジラミが寄生している例を発見します。
これは、かつて一つの大陸で暮らしていた鳥が何らかの理由によって隔絶され、それぞれの地で進化したことを示しているのではないか。
すなわち、大陸移動説を補強する生物学的な証拠なのではないかー。
「大陸が移動する」という極めて壮大な出来事。
それを示唆するのが、小さなハジラミという対比構造。
ここに研究の面白さや奥深さを感じます。
「その基礎研究、何の役に立つんだ」
世の中にはそんな研究がたくさんあります。
しかし、役に立つかどうかは誰にも分からないことです。
小さな研究が、時に大陸すら動かすのですから。
みなさま良いお年を‥‥。