南の往診獣医さんのブログ

往診獣医が獣医師ならではの視点で動物のこと、社会の出来事、その他の話題についてオリジナルイラスト付きで書いています。

往診獣医の事件簿 11 〜瞬間移動する留学生〜

おととい、マリ共和国出身の京都精華大学学長、ウスビ・サコ氏の記事を読みました。

「違いとともに成長する」
この考え方は非常に共感できます。

それで、ふと思い出したことがあります。
私がまだ大学生だった頃のこと。
忽然と姿を消し、そして突如再び現れたある留学生のことを。

その人は、シャーさんといいました。
アフガニスタンからの留学生です。
母国語とフランス語、英語を話す知識人でした。
私は当時、薬理学研究室に所属していました。
そして、自分の研究のかたわら、彼の「チューター」を務めることになったのです。
日本語、日本での生活、研究のこと、学内の事務手続きのこと、一緒に解決していくわけです。

たどたどしい私の英語を、彼はおおらかに受け入れてくれました。根気強い人で、何かトラブルがあっても「impossible (できない)」とは決して言わなかったものです。
覚えたての日本語を使うことにも積極的でした。

「アー、キタノサン。コレハ、トテモ、ムズカシイ」

研究で行き詰まり、ノートを片手に訪ねてくるときの言い回しを、今でもはっきり思い出せます。
彼にとっても私にとっても、毎日が冒険の日々でした。
当時の新聞記事‥‥、写真中央がシャーさんです。

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さて。
こと一緒に実験するとなると、会話はほぼ英語でした。とは言え、難しい言い回しはお互い使いません。

「その溶液を希釈して、比重を1.020に調整しましょう」
「蒸留水でビーカーを洗ってから、クエン酸ナトリウムを入れてください」

こう言ったことは英文にするとほとんど決まり文句なので、毎日続くとお経のように口から出てきます。

そんなある日。
シャーさんは、
「実験中で申し訳ないが、お祈りの時間だ」
と言いました。
彼はイスラム教徒でした。毎日の礼拝を欠かしません。時間がくると大抵は、少し離れた個室でお祈りをしていました。

その辺は私も心得ていますから、もちろんオッケーしました。
ただ、実験には時間的な制約があります。
数分後には、データを取らねばなりません。
シャーさんが個室まで行ってお祈りをし、戻ってくる時間があるだろうか。
そこで私は尋ねました。

「Where will you pray? (お祈りはどこでするつもりですか?)」

「Here !! (ここで!)」

シャーさんは力強く宣言しました。
なるほど、と思いました。
つまり、実験室で彼がお祈りを捧げている間、私はそこから出ればよいのです。
これなら彼の移動の時間も節約でき、少し待つだけで実験が再開できます。
アフガニスタン人というのは、実に効率的な思考をするものだなと感心しながら実験室を出ました。

トイレに行き、実験室の隣の部屋でお茶を飲み、実験ノートを確認したり時計を眺めたりします。

さて、もうそろそろ時間だが。
シャーさんが出てくる気配がない。
ノックしてみよう。

しかし、返事がありません。
まだ礼拝中なのだろう、何にせよ異文化は尊重せねばならぬ‥‥。
新聞に目を通したりして時の経つのを待ちます。しかし、状況は変わりません。
ついに予定時刻までわずかとなりました。
データが取れなかったら、ここ数日の実験が無に帰します。
「シャーさん、エクスキューズミー!」
扉を連打しても返事はなく、たまらずドアを開けます。

そこには、誰もいませんでした。

セットした遠心分離機が、ぶぅんと鈍い音を立てているだけです。
思わず立ち尽くしましたが、はっと我に返ります。
きっとしゃがみこんでお祈りをしているのだ、そう思って実験室内をくまなく探します。
しかし、180センチを越えようかという彼の姿はどこにも見当たりません。

呆然とする私の横で、タイマーが鳴りました。
実験再開の合図です。
その時、背後に気配。
ゆっくり振り返ります。
立っていたのは大柄な男。
大きな目が、いぶかしげに見下ろしています。

「うわっ、シャーさん!」

あんたどこで何をしとったんや、
そんなようなことを何とか英語で搾り出すと、彼は全く動揺せずに
「実験の進み具合はどうか」
と聞いてきました。
どうかも何もないがな、
ぶつくさ言いながら実験を再開します。

不思議なことに、この瞬間移動劇に彼は全く関心が無いようです。
しかしどうにも腑に落ちないので、私は作業をしながら彼に尋ねました。

なぜ実験室でお祈りをしているはずのあなたが、そこにいなかったのか。
突然背後に出現したのはなぜか。

ところが彼もまた、
「それより自分がいない間、北野さんは実験をせずに一体何をしていたのか」
ということが納得いかなかったようです。

「だって、お祈りが終わるのを待ってたんですよ」
「どこで」
「隣の部屋で」
「ドウシテ?」
「だってそりゃ、私がいたら邪魔でしょう」
「お祈りは、キタノサンのいないところですると決めている」
「だから、私が隣の部屋に移動したんじゃないすか」
「ワタシ、ジッケンシツ、イナイ」
「えっ!」
「だってシャーさん言ったでしょ、Here (ここで)って」

すると、シャーさんは大笑いしました。
ノーノー、ノーノー、キタノサン!!
「I said (私が言ったのは)......」

「 "へや"」
(私は「自分の部屋でする」と言ったんだ)

彼が覚えたての日本語を英語に混ぜて使うのは常のことでした。
私はHere部屋を聞き間違え、シャーさんのいない実験室をずっと眺めていたのです。
どうやら彼は私がトイレに行ったときに実験室を出て、自分の「へや」で礼拝していたようです。
「北野さんはトイレから出たら実験を再開するのだろう」
シャーさんはそう考えていたようでした。

彼は日本人が分刻みのスケジュールで動く、時間を重んじる民族であることを理解し、尊重してくれていました。
だから私が実験しやすいように場所をあけてくれたのです。

私もまたイスラム教徒の方が日に何度も礼拝をすることを知り、それを自然なこととして受け止めるようになっていました。

結局、我々の勘違いはお互いがお互いを理解し、尊重しあったがゆえに起こったのです。

私たちは二人で大笑いし、実験手袋ごしの握手をしました。
あれからもう、20年近くが経とうとしています。

新聞記事は色褪せても、思い出は鮮やかに心に浮かびます。
シャーさんは今日も、きっとどこかで祈りをささげている事でしょう。




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