南の往診獣医さんのブログ

往診獣医が獣医師ならではの視点で動物のこと、社会の出来事、その他の話題についてオリジナルイラスト付きで書いています。

「描かれたもの」が描き出すこと

学校で講話やうさぎのふれあい教室をすると、児童の皆さんから絵やお手紙をいただくことがあります。

一枚一枚楽しく拝見するのですが、なかなか面白いことに気づきます。

例えばこの子は小学一年生ですが、たいへん高い画力の持ち主です。

場所が体育館であること、うさぎが飼育小屋からダンボールに入って運ばれてきたこと、白衣の人物がそこにいたこと、うさぎの抱き方について子供同士で意見しあったこと。
長机の上には心音計まで。

一枚の絵の中へ見事に落とし込まれています。
画力のみならず、かなりの観察力と記憶力の持ち主であることがわかります。


一方、画力うんぬんよりそのプロセスが興味をそそる絵を描く子もいます。
この絵は、「なぜ描き直したのか」についての想像をかきたててくれます。

おわかりでしょうか。
この子は、初めはうさぎの頭部に耳を描きました。場所としては正解です。
しかし何を思ったか、それを消して背中に耳を描き、太線をひいて強調しました。

これは動物の描写としては、明らかに誤りです。
しかし彼の中ではあの日、うさぎの「耳」というものが恐らく大きなインパクトとなったのでしょう。
それはたしかに、自分の耳と比べて明らかに異質なものです。
彼は「自分の耳と比べて、うさぎの耳は大きい」ということを強く感じた可能性があります。
また、この絵は「足が細い」という点にも注目すべきです。足はただの線でしかありません。
この絵の作者にとって、足は注目すべき箇所ではなかったようです。
その意味でも、彼が大きく描いた耳は「うさぎは他の器官と比べて耳の大きい生物である」
という、彼が抱いた認識を示唆するものです。


また、次の絵も興味深いものです。
この子は、うさぎを2色で塗り分けています。
ピンクと黄色。
しかし、うさぎは本来ピンクと黄色ではありません。

まだ注目すべき点があります。
肌の色と手にしているニンジンは同系統の色ですが、作者は明らかにここに差異をつけています。色調に対する正確性や再現性を持ち合わせていることがわかります。
そんな彼女が、なぜうさぎを大胆にもピンクと黄色で塗ったのか。
ここで、作者の服に注目してみます。
ピンクと黄色。
しかし私の記憶では、このように派手な色柄の服を着た子はあの場にいませんでした。
するとこの作者は、
「そこにない色を全く別の色の組み合わせで表現する」という手法の持ち主である可能性があります。
すると彼女の目にうつったうさぎはピンクと黄色だったのではなく、
「表現不能の色で構成されていた」
ということが窺い知れます。
彼女の目にうつったもの、それは我々大人が見なれたうさぎではなかったのかも知れません。
もっと鮮やかで、多彩で、輝きに満ちた生き物だったかも知れないのです。


‥‥と偉そうなことを言っている私自身も、もう一度子供の頃に戻ってこの世界を眺めてみたい。
そう強く思うことがあります。

カブトムシは手からはみ出し、ウシガエルは座布団のように見えた。
透かしたトンボの羽根を、飽くことなく眺めていられた。

拳銃に手を掛けて息を飲むガンマンのように、虫捕り網を構えた少年の頬を汗が一筋つたうような夏が、もう自分には来ないのだろうな‥‥。

そんなことを思うとき、同時に強く思うのは
「子供の頃しかわからない感覚があったな」
ということです。

だから、今の子供たちもできるだけ多くの生き物と触れ合って欲しいな、と思います。

たくさんの絵が語るように、子供はまだこの世界に到着し、発見を始めたばかりなのですから。



◆◆聴くと聞こえる on Listening 1950-2017 / 谷川俊太郎/著 / 創元社