カルテの向こうに立つ生き物、人間ー。
今日は飼育放棄の話をします。
確かにネグレクトはいけません。
法的にも問題があります。
しかしなぜそうなったのか、ということを掘り下げないと問題の真の解決にはつながりません。
実例を挙げてみましょう。
ここにある飼い主さんがいます。
犬を飼っていますが、つなぎっぱなしで散歩にも連れて行っていないようです。
しかし、つい最近までそのような兆候はなかったようなのです。
詳しく調べると、以下のような事実が浮かび上がりました。
○飼い主さんは健康である
○犬も健康である
○しかし、ある日から犬は散歩に連れて行ってもらえなくなった
○飼い主さんには時間的な余裕がある
○飼い主さんは犬が散歩に行きたがっていることを認識し、動物愛護の観点からも連れて行くべきだということを自覚している
○犬は飼い主さんにとって散歩させるにあたりコントロール不可能な体重ではない
さて。
なぜこの飼い主さんは犬を散歩に連れて行かないのでしょう。
いや、連れて行けないのでしょうか。
実はこの飼い主さんは女性で、ある日とつぜん夫を亡くされました。
旦那さんは前日まで元気でしたので、急にひとり残された彼女は精神的に大きなショックを受けました。
犬の散歩は亡くなった旦那さんの日課でした。
彼は社交的な性格で、犬の散歩中もよく散歩仲間に声を掛けていたそうです。
ある日、とつぜん他界した夫。
犬の散歩は奥さんの仕事になりました。
散歩中、奥さんは話しかけられます。
「あれ?今日はお父さんじゃないのね。お父さん、どうかなさったんですか?」
散歩中、何度も同じことが起こります。
「あの人も犬を連れている、私に話しかけてくるのではないか、私はまた夫の死を語らねばならないのではないか」
ただでさえ打ちひしがれていた奥さんは心が引き裂かれるように感じ、やがて犬と一緒に外に出ることが恐ろしくなりました。
そうすると、犬を散歩に連れて行けないという自責の念も加わり、ますます気持ちが沈んでいきます。
このタイミングで、
「ネグレクトですよ!おたく、犬を飼う資格ありませんよ!」
と責めることができるでしょうか。
動物に関わる局面だけを切り取ることは非常に難しい。
ましてやその部分だけを改善して元に戻しても、いびつな接着面は負の感情で侵食されていくでしょう。
動物のことを考えるとき、まずその人の暮らしのことを考えねばなりません。
ですから私にとっての難しい症例とは、決して難病のことだけを意味するのではありません。
それを治すには社会全体の力が必要だ、という症例。
ご近所に助けてくれる人はいるか、家族は近くに住んでいるか。
ご本人に健康の問題はないか、子供の食費は足りているか、必要な助成金は申請しているか。
お酒の問題はないか、孤独ではないか。
そういったことを時間をかけて伺い、セーフティーネットを張っていく。
だから、私は「獣医になりたい」という若い人には尋ねるのです。
君は、人が好きかと。