南の往診獣医さんのブログ

往診獣医が獣医師ならではの視点で動物のこと、社会の出来事、その他の話題についてオリジナルイラスト付きで書いています。

獣医学と歴史(5) 〜モンゴル帝国とペスト①〜

前回、「動物の譲渡がボーダーレスになりつつある」ことを書きました。

マッチングの機会が増えるので喜ばしいことですが、獣医師としては
「局地的な感染症を拡大させぬように気をつけねばならない」という事も、あわせて書きました。

ということで、今回は歴史的な実例を挙げてみたいと思います。

題材は、ペスト
黒死病ともよばれた細菌感染症です。

ペスト菌のもともとの宿主はネズミ。
このネズミが移動し、またネズミの血を吸ったノミが菌を媒介する形で感染が拡大していきます。

「非常に多くの人々が死んでいった。この世の終わりが来たのだと、誰もが恐れおののいた」
ディ・トゥーラ「あるイタリア年代記」(1351年)


14世紀当時のヨーロッパ主要諸都市における、ペストによる死者の人口比は

ブレーメン(ドイツ) : 60%
ハンブルク(ドイツ) : 60%
ベネツィア(イタリア) : 60%
フィレンツェ(イタリア) : 55%
・パリ(フランス) : 50%

(世界史MAPS 主婦と生活社)

スペインでは当時の国王・アルフォンソ11世までもが命を奪われました。


(ペストによって死屍累々となった街の絵画 Wikipedia)



さて。

ヨーロッパ全域を恐怖に陥れた、この史上最悪の感染症はどこから来たのか。

歴史上、ペストについての最初の記述が見られるのは1339年。
場所は、イシク=クル。

そこは、ヨーロッパからはるか遠く離れた中央アジア
標高1600mに位置する湖の周辺でした。

高地の、恐らく隔離された風土病であったペスト。

しかしイシク=クルで記述の見られた数年後には、全ヨーロッパで数千万人から2億人と推定される死者を出しています。

局地的な感染症であったペストは、なぜ瞬く間にヨーロッパに到達し猛威を振るうに至ったのか。

それを紐解くには、時代をさらに二百年以上さかのぼる必要があります。

1162年5月31日。
モンゴル高原、オノン川のほとり。
遊牧民の部族長の子として、ひとりの男児が出生します。
テムジン-。

このとき誰が予想し得たでしょう。

蒼蒼たる空の下、茫茫たる野に生まれ出でたひとりの子が、やがてモンゴル高原はおろかユーラシア大陸全土に馬蹄を響かせることになることを。

そしてその結果、感染症史上まれにみる災厄が引き起こされることを‥‥。


次回に続きます。



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