南の往診獣医さんのブログ

往診獣医が獣医師ならではの視点で動物のこと、社会の出来事、その他の話題についてオリジナルイラスト付きで書いています。

獣医学と歴史(5) 〜モンゴル帝国とペスト③〜

前回の続きから。

カッファ攻囲中、モンゴル軍にペストが蔓延し始めたことは前回書きました。

しかし、ここまでユーラシア全土を蹂躙してきたモンゴル軍です。病に倒れる自軍の兵士を見て戦意喪失するどころか、逆に恐ろしい作戦を思いつきます。
それは、病死した自軍の兵士を投石機で城内に撃ち込むというものでした。


中世西アジアで用いられた投石機 (Wikipedia)

ちなみにモンゴル軍は南宋の主要都市・襄陽の攻略(1268年〜1273年)にあたりイランから技術者を招聘。
投擲距離が数百メートルに及ぶ可動式投石機を開発し、その後も数々の攻城戦で積極的に使用しています。
しかしまさか、これを生物兵器として運用するとは‥‥。

不幸なことにモンゴル軍の狙い通り、カッファの街にペストが襲いかかります。
たちまち市民に蔓延し、カッファは陥落。
そしてモンゴル軍から逃れたカッファの住民がヨーロッパ中に散って行きます。

カッファ(現:フェオドシヤ周辺)から逃れた避難民の最初の目的地はコンスタンティノープル(現:イスタンブール)。

ヨーロッパの玄関口として繁栄したこの大都市も、ペストの襲来を受けるとわずか2ヶ月の間に人口の30%を失ってしまいます。

感染地帯が黒海〜地中海に及ぶと、これまで主に陸路を移動してきたペストは、今度は船を介して海上ルートでも感染域を拡大していきます。

1347年10月。
カッファからの避難民がイタリアのメッシーナに寄港。

またたく間にメッシーナが壊滅。ペストはここからあっと言う間にイタリア全土に広まります。


ペストの伝播能力は凄まじいものがありますが、特に海路を経ての感染速度には驚かされます。
これは恐らく、この病気の運び屋がネズミであったからではないかと思います。

人、食料とともに船内に乗り込んだネズミは船が寄港する港々で下船し、ペスト菌を伴って街の中に散っていきます。
彼らにとって冬季も寒さをしのげる都市部は格好の住処だったでしょう。

人間の患者なら港内に隔離して市街地への立ち入りを制限できます。しかし、船からチョロチョロと上陸するネズミを1匹残らず制止することは極めて困難です。

ペストはヒトからヒトへもノミを介して感染しますから、大流行を全てネズミのせいにはできません。
しかし、ネズミが大きく関与していたことは否定できないでしょう。

とは言え、同じくイタリアのヴェネチアはペストの被害を最小限にとどめました。
その方法については、以前に解説しましたのでご覧ください。

というわけで、次回もう一回このシリーズを続けて締めたいと思います。


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