南の往診獣医さんのブログ

往診獣医が獣医師ならではの視点で動物のこと、社会の出来事、その他の話題についてオリジナルイラスト付きで書いています。

獣医学と歴史(7) 〜猫放し飼い令?〜

猫の室内飼いがスタンダードになりつつあります。

外に出た時の事故、感染症のリスク。
それに他人の敷地内への糞尿被害。

このままいけば室内飼育を義務付ける法律が出来るかも知れません。



しかし日本では昔、逆の政策がとられたことがあります。
言ってみれば、「猫放し飼い令」


間違えないでください、
「猫放し飼い禁止令」ではありません。
その逆です。



安土桃山〜江戸時代にかけての公家で、
西洞院 時慶(にしのとういん ときよし)
という人がいました。

この人物はかなり高位の公家でしたので、天皇や各地の大名をはじめ、徳川家譜代の重臣とも深い繋がりがありました。
また当時としても大変な長寿(88歳)を全うしたため、その交友関係も実に息の長いものでした。

しかも歌人であり医者でもあったことから、その生涯は躍動感あふれる毎日に彩られていたのです。



西洞院 時慶(にしのとういん ときよし)


その時慶、こまめに日記を付けていました。

『時慶卿記』あるいは『時慶記』と呼ばれるこの日記は、当時の社会情勢を今に伝える貴重な史料とされています。



(『時慶卿記』:京都府立総合資料館)


さて慶長七(1602)年十月四日、時慶は興味深い日記を付けています。

「猫が迷子になって困る」

その理由も書いてあります。

「猫をつながないようにという命令が二、三か月前に出たためである」

猫を放さずに飼え、ではなくて猫を放し飼いにしろ、というお触れが出たのです。

いったい、時慶が暮らしていた当時の京都で何が起きていたのでしょうか。


ズバリ答えを言ってしまえば、これはネズミ対策です。


江戸時代初期、京都の人口は激増しました。その結果、ネズミもまた市街地を中心に大繁殖していたのです。

そこで京都所司代板倉勝重はついに
「猫放し飼い令」
を発布。

猫の捕獲能力を高く評価し、
「飼い猫を主力としたネズミ撲滅計画」
を発動させたわけです。
猫の手を借りるとはまさにこのこと。

‥‥結局、この法令の効果のほどはよくわかっていません。
しかし、「猫は自由に外を歩く生き物」だという天下のお墨付きを得たことは確かです。



さて深夜、筆者はジョギングに出ます。

するとほら、いました。
この野良猫はいつもこの場所で狩りをします。
排水溝から出てくるネズミを待っているのです。


慶長七年に京都所司代が立てた高札。
人々は室内飼育をやめ、猫を野に放ちました。

それから四百年。
人間はすっかりそのことを忘れてしまいました。

ところが猫一族には語り継がれていると見え、こうして毎晩、健気にネズミを獲っているようです。



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