獣医学と歴史(5) 〜モンゴル帝国とペスト④〜
ペストの話を続けています。
大陸に勢力を拡大したペストはブリテン諸島にも襲いかかります。
1348年7月7日。
フランスのガスコーニュから一隻の船がグレートブリテン島の南岸、ウェーマス港に入ります。
この乗客の中にペスト患者がいたことがわかっています。
この年のうちにブリテン諸島もまたペストの脅威にさらされることとなり、ヨーロッパ全土が死の病に覆い尽くされていきました。
もちろん感染経路はこれ以外のルートも複雑に絡み合い、陸路・海路を通して中近東はじめスカンジナビア方面にも拡大していきます。
この後もペストは19世紀まで継続的に大流行を繰り返します。
しかし、こと14世紀のペスト禍の遠因として挙げるべきは、やはりモンゴル帝国の出現でしょう。
巨大帝国がユーラシア大陸をまたぐ形で誕生し、アジア〜ヨーロッパ・中近東への交通や交易が格段に進んだことが蔓延を助長したと考えられます。
そしてこんにち、世界の人の移動や物流の速度は14世紀の比ではありません。
地域的な風土病であったものが、世界的な新興感染症となった例がいくつもあります。
そしてその中にはペストのように、動物由来感染であるものも多く見られます。
人類はペストの例を歴史からの警告として、何度も謙虚に反芻すべきでしょう。
‥‥とここまで書いてくると本当に救いようのない話のようですが、このペスト禍は人類に一粒の希望を残していきました。
4回に分けたこのシリーズの最後は、この話で締めましょう。
1664年。
都市部で蔓延していたペストから逃れるために、一人の青年がケンブリッジ大学を去り故郷ウールスソープに戻ります。
ペストが収束するまでの18ヶ月間、彼はここで自身の研究に没頭するのですが、このわずかな期間に
・微分積分学
・プリズムの分光
など自然科学上の大きな業績を残します。
中でも特筆すべきは、彼が「万有引力の法則」を発見したことでしょう。
彼の見出した法則はやがて、「ニュートン力学」として数学、物理学はじめ自然科学のあらゆる分野の支柱となっていきます。
‥‥ということでモンゴル帝国とペストでまとめてみました。
(本当はもっと詳しく書きたかったのですが、果てしなく脱線しそうなのでやめときます)
次回からはまたしばらく、読みやすいお話にしましょう。