南の往診獣医さんのブログ

往診獣医が獣医師ならではの視点で動物のこと、社会の出来事、その他の話題についてオリジナルイラスト付きで書いています。

往診獣医は、町をゆく

先日、県内の中学校から講話の依頼をいただきました。

今日は、なぜ私が往診の合間に学校を訪れるのかという話をします。

 

そのためにはまず、往診の本質について触れねばなりません。

 

ある病気を治そうとすると

「もともとはどこが悪いのか」

を知る必要があります。

 

例えば猫に口内炎があったとします。

単純に、口内炎を治せばよいのでしょうか。

 

念のため腎臓系の数値をチェックします。

すると尿素窒素などが体外に排出できず、

その影響で口の中が荒れているとわかることがあります。

つまり、アプローチすべきは腎臓だということになります。

 

原因を追いかけて、身体の奥深くまでたどっていく‥‥、

この考え方は院内の診療でも、往診でも同じことです。

 

ただ、少し違うところもあります。

それは、

「往診は、動物の身体を越えていく」

ということです。

 

なぜ、その動物は今の状態になったのか。

原因が動物の外にある場合、そのことに気付きやすいのです。

 

例えばある地域では、猫の虐待が非常に多くありました。

同じ地域で複数回、奇妙な外傷を負った猫を治療しました。

 

この場合、そのつど猫を治療して終わりでしょうか。

いや、原因はもっと根深いはずです。

そこに生息するノラ猫の多さ。

なぜそうなり、またそのままなのか。

虐待を加えた人。

その人を責めて終わりなのか。

心の闇は、どこから来たのか。

まだあどけない子供だったころ、この人は同じことをしただろうか。

 

こう考えていくと、アプローチすべき対象が浮き彫りになってきます。

動物を治療したその足で、役場や地域のコミュニティセンターに向かうこともあります。

議員さんとお昼を食べながら、意見を交わすこともあります。

毎年のように、赤ちゃん教室にも出向きます。

動物由来感染症の中には、母子感染するものもあるからです。

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往診先で動物を治そうとすると、町そのものが獣医療の対象なのです。

 

「獣医がそこまでしなくても」

そう言われれば、そうかも知れません。

しかし往診する身になってみれば、その動物を治すために必要なことです。

床を拭き続けるよりは、屋根に登って雨漏りを直した方がいいに決まっています。

 

町全体が仕事場であることに気づくと、足は色々な場所に向かいます。

メスや薬を使わなくても、できる仕事があるのですから。

 

儲かるとか、儲からないとかの問題ではありません。

人々と向かい合う仕事をする中で、見えてくるものがあります。

 

それは時に人の醜さ、弱さ、悲しさです。

また同時に人の美しさであり、強さであり、社会の影に踏み込んで逆に気づく

「希望」です。

 

私の感じるところ結局、動物の問題は人の問題なのです。

 

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