南の往診獣医さんのブログ

往診獣医が獣医師ならではの視点で動物のこと、社会の出来事、その他の話題についてオリジナルイラスト付きで書いています。

往診獣医の事件簿6 〜川の横に急行せよ〜

「もう、どうしたらいいのか」

電話を掛けてきたのは高齢の男性です。
か細く落ち込んだ声。
何の相談でしょう。

「川に、犬と一緒に身を投げようかと」

驚いて、事情を聞きます。

「犬の安楽死を断られるのです。私も病気で、先週、いとこも亡くなって」

要領を得ませんが、とにかく精神的に不安定なようです。

「落ち着いて下さい。必ず伺いますから。今、どちらですか」
「川の横です。たっています」

ただ事ではありません。
すぐに向かいます。
その日、往診予定だった数軒のお宅にも電話を入れねばなりません。
こういう事情で‥‥、と説明すると
「そりゃすぐ行ってあげないと!」

道々、先ほどの方に電話します。
ご自宅の住所を伺って、とりあえずそこにいていただくようにお願いします。

数十分後、たどり着いたのは那覇市郊外の集合住宅。
築年数はたっていますが、海がすぐ前です。
大きな川が碧い海にそそぐ、景色のいい場所です。

ベルを押し、中に入ります。
高齢の男性と、高齢の犬。


「お電話をなさったのは‥‥?」
「私です、ご足労をお掛けしました」

意外にしっかりしたお声です。
もっと落ち込んでいらっしゃるかと思いましたが‥‥。

「身を投げるとかおっしゃるから、ヒヤヒヤしながら来ました」
「私は、ずっとこの部屋におりましたよ」
「でも、川の横に立っているとか」
「それは、この建物のことですよ。川の横に建っている」

あっ!
そう言われればこのマンションの名前は、リバーサイド〇〇‥。

へなへなと崩れ落ちそうになりながら、
これはこれで良かったのだ、と自分に言い聞かせます。

ご相談の大筋はお電話の通りでした。

飼い主さんは最近ご病気がち。
仲の良かったいとこを亡くされたことも間違いありませんでした。

ただ、違ったこともあります。

犬は高齢ではありますが、ほぼ健康でした。
安楽死の必要はありません。

色々と心配事や不幸が重なり、精神的に少し不安定になってしまわれたようです。
将来のことを考え、一時的に暗澹たる気分になってしまわれたような印象を受けました。

もし犬に何かあれば、必ず伺うことを説明します。
そのほかにもたくさん雑談をしました。
この場合、犬は元気なのですから、飼い主さんの不安さえ取り除ければひとまず安心です。
何の薬も出さずに帰ります。
帰り際の挨拶は、うって変わって明るく張りのあるお声でした。

帰途、橋の上を渡ります。
つい、呟いてしまいます。
「川の横に、たっている」

作戦だったのかも知れんな‥‥、
苦笑しながら、次の現場に向かいます。