南の往診獣医さんのブログ

往診獣医が獣医師ならではの視点で動物のこと、社会の出来事、その他の話題についてオリジナルイラスト付きで書いています。

借りてきた猫とブッダ

借りてきた猫、という言い回しがあります。
確かに、よそへ行くと猫というものは
おおかたおとなしい生き物になってしまいます。

しかし、必ずしも常にそうだとは言い切れません。
よそへ連れて行かれると逆に興奮してしまって、
どうにも手がつけられない子もいます。

私の往診先にも、
「動物病院に連れて行ったら暴れて手がつけられない」
といった猛者がいます。

しかしどんな獅子か猛虎か、と覚悟して行くと
自宅では非常に温厚な猫で、
注射・採血何でもござれ、だったりします。

猫にも色々ある、ということがよくわかります。

さてこれと似たような話で、
もっと世界規模的な例があります。

「サイの角のようにただ独り歩め」

これはブッダの残した言葉として広く知られています。

今でこそ仏教は家族、一族巻き込んでのものですが、
初期には文字通り「出家」し家族との交わりを絶って
ひたすら修行に明け暮れる、という宗教でした。
ブッダ自身も王子という身でありながら家族を捨て、
修行の旅に出てしまいました。

そこで前述のごとくブッダ
「孤独」の例として「サイの角のように」
という表現を用いたわけです。

「サイのように」ではなく、
「サイの角のように」
と言ったところがミソです。

しかし、サイの角は本当に一本きりなのでしょうか。
これは、シロサイの写真です。
おや、角は二本あります。

次に、クロサイ
やはり二本角です。

ではブッダは角の数を見間違えて
このような格言を遺したのでしょうか。

そうではありません。
シロサイ、クロサイはアフリカに分布するサイです。

ブッダ北インドの出身ですから、
これらのサイを目撃したはずがありません。

ではブッダが見たサイは何だったのか。
それは恐らく、インドサイであったでしょう。

角は一本です。
インドサイの学名は
Rhinoceros unicornis」、
「一本角のサイ」です。

これなら、ブッダの言葉も意味が通ります。

ただ惜しむらくは、ブッダ
「サイにも色々いる」
ということを知らなかったはずです。

アフリカの人が
「サイの角のように」と言われたら
「サイ、角二本あるけど‥‥」
となるのは完全に予想外だったことでしょう。

ちなみにこの他のサイとしては
スマトラサイが二本角、
ジャワサイが一本角です。

インドサイは一時、絶滅の危機に瀕し
そこからやや持ち直したとはいえ、
まだまだ希少な種です。
角が密猟の対象となっているためです。

ブッダが約2500年前に見たであろうインドサイ。
それが生きて動いている姿を、
21世紀の我々は今も見ることができる。

この感動は、インドサイという種とともに
必ず後世に残さねばなりません。