名前をつけましょう
四月一日を迎えました。
入園式、入学式のシーズンです。
学校や幼稚園の動物を診て回ると
「名前のない子」
に出会うことがあります。
獣医師会の診療記録簿にも
「ウサギ シロ(仮名)」
という感じで記載せざるを得ません。
なぜ名前がないかと言うと、
理由はだいたい三つに分かれます。
・飼育数が多すぎて命名が困難
・短命のため命名が追いつかない
・名前をつけて飼うという意識が薄い
いずれにせよ、動物愛護法の
「動物の生命を尊重し愛護すること」
という主旨に沿うものではありません。
逆に、それぞれの動物にしっかり名前がつけられている、
という幼稚園や学校もたくさんあります。
飼育小屋にボードがかけられていて、
その子の名前や特徴、性格などが書かれています。
こういったところでは、子供達の反応が違います。
往診に行っても
「ぴょんちゃんの先生が来たよ!」
という反応になります。
子供も先生も一緒に心配します。
私もその中に入って治療に向き合うことができます。
一方で、
「あの奥の、黒い子がそうです。いやあっちじゃなくて、さらに奥の‥あっ、穴に入っちゃった」
という感じでは、
飼育小屋で淡々と治療を進める私のそばに
子供達が寄ってくることはあまりありません。
心配してもらえず何と可哀想な子たちだろうか、
とも思いますが、これでもまだいい方です。
だって、まだ獣医を呼んでもらえるのですから。
適切な飼い方がなされず、
治療も受けられない動物の何と多いことか。
しかしこのことで学校を責めるのは、
問題構造を単純化しすぎです。
特に教頭先生や飼育担当の先生に
責任をなすりつけるのは、酷です。
学校に予算もなく、飼育に関する研修もなしに
「ハイ、世話しなさい。担当はあなた」
ではどうしようもありません。
国ー都道府県ー市町村ー学校が
「動物愛護教育」というテーマに対して有機的に機能していない、という点が問題なのです。
平成がもうすぐ終わります。
平成という時代は、動物愛護法に「学校」という文言が入った画期的な時代でもありました。
「名前もつけずに飼うのはヘンだぞ」
という感覚を身につけないままの、
あるいは「喪失した」子供達を社会に送り出すということ。
そこから何か負の部分が立ち上がって来てしまうのではないか。
このことに国が気づき、
それを変えようと舵が切られた時代でした。
しかしまだ船は目指すべき航路にのっていません。
次の時代、子供にも、学校の動物のことにも
光が当たる教育を期待します。
ふでばこに、下じきに、ハンカチに。
一つ一つに新入生の名前を書くとき。
気にかけてみて下さい。
「彼ら」に、名前はあるだろうかと。