南の往診獣医さんのブログ

往診獣医が獣医師ならではの視点で動物のこと、社会の出来事、その他の話題についてオリジナルイラスト付きで書いています。

見送る飼い主さんのそばで考えること

このところ、診ていた動物を看取ったり、亡くなったという連絡を受けてお悔やみに伺ったりする日が続いています。

なぜか続くときは続くもので「いよいよ危なそうだ」と呼ばれて向かう途中で、別のお宅から「こちらもいよいよ‥‥」という電話が来たりします。

もともと、余命いくばくもない老犬・老猫を診たり、終末獣医療に関わったりする機会が多いので、そうなる傾向は確かにあります。

動物が亡くなると、残念ながら獣医師である私にできることはほとんどありません。

獣医師は獣医学という「科学」に基づいて行動せねばならないのであって、証拠や根拠のない事象に踏み込むことができないからです。

かと言って、私は聖職者でもなければ僧籍を持っているわけでもありませんから、動物を亡くされた飼い主さんの心をどこかに導くこともできません。

ただ、宗教や信仰というものは、
「その時のためにあってもいい」
と思っています。

1687年、アイザック・ニュートン
『自然哲学の数学的諸原理』
いわゆる「プリンキピア」を著します。

この本によってニュートン力学、いわゆる古典力学が体系化されます。

ニュートンが示したのは、
「物体は一定の自然法則に基づいて運動する」
ということ。
つまり神様が「落ちるな」と言っても、やっぱりリンゴは落ちてしまうわけです。
それじゃ、神様を信じる人がいなくなるじゃないか‥‥。
ところが21世紀の現代、宗教というものが消滅したわけでもありません。

近代科学の扉を開いた『プリンキピア』の公刊から300年後、ニュートンの功績を記念して国際会議が開かれ、その成果として一冊の本が世に出ます。


Physics, philosophy, and theology : a common quest for understanding

(物理学・哲学・神学からの考察 : 宇宙理解の統一をめざして)

「科学」の道を煌々と照らしたニュートン
そのニュートンの掲げた灯火によって、あるいは陰の領域に追いやられたかに見えた宗教や信仰というもの。

しかし、この『プリンキピア』の公刊300年を記念して会議を招集し、その本の序文を書いた人物こそ、当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世でした。

ヨハネ・パウロ2世がそこで述べたのは
「宗教と科学は、担当すべき領域が全く異なる」
ということでした。

このようなことを考えるにつけ、私は
「人に幸福をもたらすなら、それは宗教であっても科学であってもかまわないのだろうな」
と思います。

私は特に何かの宗教に傾倒しているわけでもなくカルト的なものに心酔しているわけでもありませんが、非科学的なもの全てを否定するのは‥‥何となくおこがましいような気もするのです。

「人間には到底わからないことが、世の中にはあるかも知れんな」
という謙虚さ持つことは、自然や生命に対する敬意として行いに現れるように思います。

とりとめのないような内容になってしまいましたが、見送る側の獣医師も、こういったことを考えています。



100万回生きたねこ [ 佐野洋子 ]