一枚の写真が語ること
日曜日は狂犬病の集合注射に出て、昨日は夜10時くらいまで会議があって‥‥。
普通、仕事が忙しいとだんだん人間性を失ってしまうわけですが‥‥。
しかし私は「動物と触れあう」のが仕事。
そんなにストレスがたまりません。
ありがたいことです。
今日はそんな話をします。
ここに一枚の写真があります。
この兵士は、何をしているのでしょう。
タバコに火がつかないのでしょうか。
それとも、銃のメンテナンスでしょうか。
いやよく見ると、彼が片手で持っているのは子猫です。
この兵士はスポイト状のもので、子猫にミルクをやっています。
これは、朝鮮戦争時のアメリカ兵の写真として広く知られているものです。
この人物が誰であるのか、また撮った人物が何者なのか、私にはわかりません。
しかし、わかることもあります。それは、
「この兵士は決して子猫の世話のために戦地に来たのではない」
ということと、
「撮影者はこの光景に意味を見いだしたからシャッターを切った」
ということでしょうか。
明日をも知れぬ戦場で、彼は何を求めていたのか。
もし仮に、戦場の向こう側で敵の兵士が同じように子猫にミルクを飲ませていたら。
その戦争の意味はいったい、どこにあるのか。
同種で命を奪いあう者が、異種の生き物を救おうとする真剣な眼差し。
個人個人では友人になれるのに、国家間では衝突を繰り返す、地球上で最も知能の進んだ生物。
職業がら動物を基準に物事を考えるようになると、人間というのは実によくわからない生物だと感じることがあります。