ウイルスより先に船に乗ろう
一日終わって、夜からブログを書こうとすると電話が来てまた出かけて、帰ったら朝という日が続いております。
今日も書いてる間に急患が出なければ良いのですが‥‥。
さて、明日は早朝から港に行きます。
そして、船に乗ります。
目的地は渡名喜村です。
獣医師会の仕事で、狂犬病の予防接種のために向かいます。
実際に注射をうつ犬の数は少ないのですが、船の本数の関係上、朝に那覇を出て夕方まで帰れません。
さて、なぜわざわざ離島まで行って注射を打たねばならないのでしょうか。
それも、わずかな犬のために。
今日は、そんなお話をしましょう。
インドネシアにフロレス海と呼ばれる場所があります。スラウェシ島の南に広がる海域です。
そこに、フロレス島と呼ばれる島があります。
面積は約13000平方キロメートル。
沖縄本島の約10倍ですから、大きな島です。
1977年の調査では、この島には約60万頭の犬がいました。
しかし、2003年には約17万頭に激減しています。
この間に何が起こったのか。
事の始まりは1997年11月。
フロレス島の港町・ララントゥカ。
ここにスラウェシ島から2匹の犬が連れて来られました。
1匹は到着直後に死亡。
もう1匹は周りの犬に咬みつきました。
この11月から年内にかけ、フロレス島では6件の人への咬傷事故が報告されました。
しかし、人々はこの時点でも気づいていなかったのです。
このとき持ち込まれたたった2匹の犬が、有史以来、狂犬病の清浄地域だったこの島に悲劇をもたらす使者だったということに。
明けて1998年2月。
近隣のサロタリ村で、ついに狂犬病による死者が確認されます。
この年、島内で681件の咬傷事故が発生。
10人が死亡します。
原因は、やはり狂犬病でした。
致死率ほぼ100パーセントの死のウイルス。
それがスコールの前の暗雲のように島全体を押し包もうとしている事は、もはや明らかでした。
事態を重く見たインドネシア政府は、感染の拡大を防ぐために重大な決定をします。
それはすなわち、
「危険区域すべての犬の撲殺」
でした。
その範囲はフロレス島を含む、東部ヌサ・トゥンガラ州全域。面積でいうと約46000平方キロメートル。これは九州全県の面積に匹敵します。
この措置によって、先に述べたようにフロレス島での犬の数は激減しました。
しかし、島内では文化的に犬を放して飼う習慣があり、もともと野犬も多かったため、犬は完全にゼロにはなりません。
狂犬病の侵入から五年すぎ、十年過ぎてもフロレス島では狂犬病による死者がゼロになることはありませんでした。
狂犬病は哺乳類全てに感染します。
フロレス島は自然が豊かで、野生動物も多様です。一度侵入した狂犬病ウイルスを再び波濤の向こうに消し去るのは、事実上不可能だと言えるでしょう。
島から島へ、港から港へ。
狂犬病ウイルスはこうして勢力を拡大してきました。
もし明日の朝、渡名喜港にボロボロの往診カバンを持った白衣の男が降り立ったら。
わずかな犬のために注射を打ちに、島内を回っているボサボサの髪の獣医がいたら。
「ああ、あの人は狂犬病より先回りするつもりなのだな」
と思って下さい。
晴れて船が出ると良いですね。