南の往診獣医さんのブログ

往診獣医が獣医師ならではの視点で動物のこと、社会の出来事、その他の話題についてオリジナルイラスト付きで書いています。

往診獣医の事件簿14 〜もっと光を〜


ある夜。
遅くまでかかった往診の帰り。
携帯が鳴ります。
あわてた女性の声。

「道路脇に、車にはねられた犬がいます!」
「どこか近所の犬ですか?」
「知らない犬です!足を轢かれてます!」

交通事故。
往診での対応が難しい症例です。
無事に見えても内臓を損傷している場合があります。

レントゲンを撮らないと詳しいことは分かりません。

「お近くの動物病院に連れていかれては‥」
「電話しましたけど、どこも閉まってます!」

そういえば、そんな時刻でした。

「犬はどんな具合です?」
「かなり血が出てます、足からだと思うけど、見せてくれなくて‥‥」

現場の位置を聞くと、私の現在地からは少し離れています。
結局お互い移動しあって、合流した場所で診ることになりました。


夜も更けた、某公民館の駐車場。
犬を保護した女性が先着していました。

「先生、こんな夜遅くにすみません」
「謝ることはないですよ。見知らぬ犬のために、あなたこそご苦労を」
「うちにも犬がいるんですよ、かわいそうですよ、ほっとけないですよ」

犬はミニチュアピンシャー
普通は室内で飼われる犬種です。何かの拍子に外へ出て、事故に遭ったのか‥‥。
幸い、打ちどころが良かったのか元気はあります。

ともかく往診車の後部ドアを開け、そこへ寝かせます。車内灯をつけて、患部を見ます。

‥‥よく見えません。

車内灯の明かりなどささやかなものです。
しかも毛色が黒い上に、足をちょこまかと動かすので患部の具合がよく分かりません。
すると犬を保護した女性がスマホの明かりでアシストしてくれました。

「あっ、なるほど!こんな具合か!」
「どんなです?」
「折れてはいないようです。ただ、足先の皮がベロリンとむけています」

推察するに、車のタイヤはこの子の後ろ足から皮膚を引き剥がし去っていきました。
しかしその皮膚は、身体から離れるか離れないかのところギリギリで留まっている状態です。


「皮膚欠損はしてないようです。要するに、皮膚を組織の上に被せて、急いで縫合すれば‥‥細菌感染さえなければ元に戻る可能性はあります」


幸い、駐車場の横に街灯がありました。
この灯りのおかげで、処置をするにあたり最低限の視界は確保できます。


「今、ここで縫うんですか!」
「他に手はなさそうですのでね」
「お願いします!」
「しかし、良く考えたらおたくの犬ではないのに‥」
「そういう問題じゃないですよ!」


街灯の淡い光。
車内灯。
スマホのライト。


犬はおとなしくしています。
患部を触ると嫌がって頭をあげ、私の手を舐めます。その舌はピンク色です。
内臓を損傷して内出血していると、こうはいきません。


局所麻酔をかけて、消毒をして、滅菌済みの器具を並べて‥‥。


「いけそうです。この部分とこの部分がつながって、そしてここと、ここが‥‥」


皮膚をパズルのようにつなげると、ちょうど患部全てを覆えることがわかりました。


「暗いけど、縫えそうです」
「頑張ってね、頑張ってね」

今の「頑張ってね」はきっと、犬に言ったのだろうなぁ。
ちょっとクスリとしながら手袋をはめます。

局所麻酔が効いてきたのを確認して、ひと針ずつ縫っていきます。
並行して抗生剤と鎮痛剤、それに止血剤を混ぜたリンゲルを皮下補液で入れていきます。

「順調ですよ、すべて順調です」

ところがこの時、なんと「助手」のスマホの電源が切れてしまいました。
視界は一気に暗くなります。


しかし、暗闇には徐々に目が慣れてきていました。
それに患部の具合や置いてある器具の場所はだいたい覚えています。

「たいへん!先生、大丈夫ですか!」
「う〜ん、ありましたよこんな話が」
「なんのことですか?」


こんなとき、周りを不安にさせてはいけません。
人の不安は動物に伝染するからです。


「テロリストが病院を占拠するんですよ。それでまぁ、色々あって停電するんです」
「はぁ」
「そのときまさに手術中でしてね、でも、停電の前に患部の状態を覚えていたわけですよ。だから真っ暗やみの中で手術をするんです。手さぐりだけでね」
「えっ!それを先生が!」
「いや、ブラック・ジャックが」


患部の状態を記憶していたブラックジャックは、完全な暗闇で手術を敢行。
再び電気がついたとき、患者の手術は見事に終っていたという‥‥。


(出典:ブラック・ジャック 第2巻「病院ジャック」)

それに比べれば、こっちはまだ少し明かりがあります。
私がブラック・ジャックじゃなくても何とかなるというものです。


縫合が終わりました。
犬は相変わらず元気にしています。
まだ少し出血がありますが、じきに止まるでしょう。
経過観察が必要ですので、その夜は保護した方が見てくれることになりました。


その翌日。
結局、この子は患部の状態も良かったとのことで動物愛護管理センターに預けられ、その日のうちに飼主さんが現れて涙の再会となりました。

後日、飼主さんが直接お礼に来られました。
再会の日、センターからそのままかかりつけの動物病院に行き、詳しい診察を受けましたが大きな怪我はなかったそうです。


あの晩この子を保護した方は「飼い主さんが必ず心配しているはずだ」と確信しておられました。
「代わりにお支払いしておきますから」
と治療費もお出しになり、犬に優しく声をかけながら帰られました。
なかなかできることではありません。


あれから数ヶ月。

街灯のあかりの下に立つと、今でもあの夜のことを思い出します。





ブラック・ジャック・ザ・カルテ〈2〉 BJ症例検討会9784907727246