子猫を助ける小さな手
トキソプラズマ症のお話を続けている途中ですが、少し猫と子供のお話を挟みます。
まず、この写真。
一昨日、私が往診中に出会いました。
この子たちは、二匹の猫のもらい手を探して町の中を歩いています。
子供たちそれぞれの家では飼えない、ということで空き地の小屋のような所に猫を隠して、放課後もらい手を探す毎日です。
この写真には写っていませんが、もう一匹の猫は疥癬(かいせん)に感染していました。
疥癬というのはヒゼンダニが原因の皮膚病です。
人にうつりますが、小学生にその知識があろうはずもありません。
話をよく聞くと、もともと近所の人が猫を置いてどこかへ引っ越して行ったことが原因だということがわかりました。
疥癬の治療薬を処方して、ボランティアさんの協力でいずれ避妊去勢を無料で行うところまでは話が進みました。
しかしもらい手はまだ見つかっていません。
次にこの写真。
この二匹の子猫は、それぞれ別の場所で、同じ日に保護されました。
一匹が保護されたのは海沿いです。
子猫を保護したのは児童で、海に落ちそうになりながら助けたそうです。
そのときこの児童も負傷したと聞いています。
「うちに連れて帰ったけど、お父さんが猫アレルギーで」
このお子さんは泣きながら愛護団体さんに託したそうです。
私も、よく子猫を見かけます。
往診中にも車窓から見ますし、自分の子供と公園に行けば、そこにも子猫がいます。
子猫がいる、となると愛護団体の方々が必死になって保護しては譲渡につなげていますが、それにも限界があります。
猫が日常的に町中で繁殖し、車にひかれ、保護され、譲渡され‥‥‥もはやここ沖縄ではそれが当たり前の光景になりつつあります。
温暖な気候で猫が周年繁殖しやすい、という条件は確かにあるでしょう。
しかしだからといって、それを我々大人が当たり前のことだとみなして良いものか。
「子供たちが巻き込まれている」
という視点が欠けているのではないか、と思います。
猫の問題が子供たちの身近に存在することは、猫から子供への感染症リスクが高まると共に、保護活動を子供に託して物理的な危険にさらすことを意味します。
そして、この問題から目をそらすということは、子供たちの世代に宿題を押し付けることをも意味します。
不幸な猫を減らす、ということはもっと多角的な視野で語られるべきです。
そしてそれに関わる人たちは、単に動物愛護の面からでなく、複合的な社会的貢献度の高さをもっと評価されるべきです。
この二日間、他にも子猫がらみの相談がありました。
猫にも子供にも、非はありません。
子猫を譲り受けたい、という方は
までご連絡をお願いします。
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