どうぶつえんにいきました。(3)
年明けに大阪市立天王寺動物園に行ったときのことを書きました。
こんな写真も撮ったことを忘れていました。
ある「動物」の写真です。
このスペースでは来園客が遊具で遊んでいます。
看板には「ヒト 知恵を得て運動能力を捨てたサル」と書いてあります。なるほど。
さて、獣医師というのは大学でひととおり動物のことを学びます。
「猫のことしか勉強しなかったので、牛のことは知りません」
というような獣医さんはいません。
このような話をするとよく言われるのは、
「獣医さんはどんな動物も診ないと駄目だから大変ですね」
ということです。
しかし私からすると、そう言われるのが逆に不思議であったりします。
例えばここに、1種類の動物がいるとします。
何でも構わないのですが‥‥、
パッと思いついたところでジャワサイにしておきましょう。
もし仮に、こんな学部があったらどうでしょう。
・ジャワサイ医学部
・ジャワサイ科学部
・ジャワサイ工学部
そこではもうとにかく、ジャワサイのことしか学びません。
さすがにクレームが来たようです。
「おたくではジャワサイだけやるんですか」
「そうですが、何か」
「研究室単位でならわかりますが‥‥。ジャワサイだけで、こんなにたくさん学部を‥‥」
「断固として、ジャワサイだけです」
「あの‥‥、例えばですね、同じサイ科にスマトラサイなどもいますが‥‥」
「スマトラサイは属が違いますから。あっちはスマトラサイ属、ジャワサイはインドサイ属です」
「しかしいくら何でも、ジャワサイだけというのは‥‥」
「何ですか。1種類だけやっちゃいかんのですか」
「だって、何も特定の1種類だけ多角的にやらんでも。もっと広く浅く、色んな動物をですね‥‥」
「変ですか」
「変ですよ、1種類だけにそんな」
確かにジャワサイは
「ウマ目サイ科の、インドサイ属に分類されるジャワサイ」
という1種類の動物です。
しかし人間もまた
「霊長目ヒト科の、ヒト属に分類されるヒト」という1種類の動物でしかありません。
・医学部
・人間工学部
・人間社会学部
これらは膨大な生物の中から「ヒト」という1種類だけにフォーカスした学問領域です。
それはもちろん我々自身がヒトだからであり、例えばジャワサイが文明を築けばジャワサイ医学部を作るでしょうから、必ずしも奇妙なことではありません。
ただ私のように様々な動物を診ねばならない職域の人間から見れば‥‥、「動物の中からヒトだけ切り取ること」に何となく不思議な感情を抱いてしまうのです。
しかしだからと言って「我々はヒトも診られるはずだ」と言っているのではありません。
医学がヒトという1種類の動物を深く掘り下げる事で得た深遠な知見は、他の動物の未来を明るく照らします。
逆に、獣医学から得られた情報が医学に貢献するという側面も忘れてはいけません。
そして絶対に忘れてはいけないことは、お互いに応用が効くということは、その壁が低いということです。
動物由来感染症。
SARSしかり、MARSしかり。
「種の壁をこえてヒトに感染する」
という種の壁は、我々が思っている以上に低いのかも知れません。